「大和さんの弟子なんだから泥鰌掬いやらないと!」
「せっかく良い芸なのに後を継がないの?」
「ドジョウ掬い踊れるんでしょ?」
私の師匠ダーク大和を知っている人に必ずと言って良いほど言われます。
そんな時の答えは「私、踊れないのです」;;」
すると「ドジョウすくいなんて簡単だよ」と返ってきたりするのですが、4年間後見としてみていたあの踊りはあまり簡単ではないのです。どこが難しいのか、やってみなくちゃ分からないと、また突っ込まれそうなのですけど、今の私には絶対無理な箇所がありまして、そこを最後にご説明します。あくまでもダーク大和のドジョウ掬いに限ってのことですので、他の踊り手がこうでなくてはいけないという論文ではございません。あしからずご了承ください。
まず、師匠のドジョウ掬いを何かにたとえて言うと。
絵画ならモネの「落ち穂拾い」
落語で言うと「唖の釣り」
「ダーウィンが来た」で言ったら、腹を減らしたライオンの狩り
では、それぞれ説明します。
「落ち穂拾い」
ドジョウは精の付く滋養に満ちた食材です。そんな食材を求めて田んぼに出かける男は、健康ではち切れんばかりの肉体派なのでしょうか?いえいえ師匠はガリガリのやせっぽち。つまり、栄養の行き届かない小作人にしか見えません。そこでおそらく背に腹は代えられない状態でドジョウを掬いに行くのです。
「唖の釣り」
そんな貧弱な男が自分の田んぼを持っているはずは無い、農家であっても庄屋が納める田んぼの小作人、ちがっても貧困層であることは間違いありません。出で立ちがそう思わせます。それどころか、こそ泥なんですね。だから豆絞りで顔を隠す。泥棒かぶりを実際にやってみるとわかるけど、あのかぶり方では息が苦しいのです。ですから、鼻の下では手ぬぐいを結ばない、邪魔にならないアゴの横で結びます。それだと遠目でも人相がばれてしまう、だから、簡単な一文銭で人相を変える。これが見事な変装で、あれをやると皆同じような顔に見えるから不思議です。そして、人の田んぼにこっそり忍び込んで、ドジョウを盗むというわけです。ドジョウは稲に付いた不純物質を掃除してくれ、糞で肥やしを補う益虫ならぬ益魚です。それを盗みに入ります。でもそこには蚊もいるし、大敵のヒルまでいます。なんと言っても田んぼはぬかるんでいて歩きにくい、疲れてしゃがみすぎるとお尻までびしょびしょになってしまう。そして、なにより冷えてくるのでおしっこに行きたくなる。ところが、トイレなど無いので手近で済ましてしまう。そんなしょうもない男なので「汚れ」と言われています。あまりにしょうも無いので、許せてしまうのです。それどころか、滑稽で興味を持たれます。盗人といえども、腹を減らして必死の人を見ると人は時に哀れみさえ感じてしまうようです。
「ダーウィンが来た」
お腹が空いてへろへろな状態で獲物を見つけた子連れの雌ライオンの目は必死。
この必死なまなざしと、顔は一点に固定されて、肩だけが顔の周りを回転するように忍び寄る。あの動きで、ドジョウに忍び寄る姿は、あれ?かっこいい?とも思わせる一瞬があります。そうなんです。この瞬間だけかっこいいのです。あの動きはパントマイムの世界とダブります。顔、その中でも目が一点に固定されて全身がしなやかに波打つ仕草、ここが見物!意外でしょ。
師匠が本気の時の踊りはここがもの凄く、汚れなのにピーンとします。
さて、なぜ今の私では師匠のドジョウ掬いを踊れないのか。結論は簡単です。
太りすぎ!健康に見えすぎ!良く言うと食うに困るような貧乏人に見えない(本当は貧乏です!)これが決定的にダメです。せめてあと15キロ痩せないうちは話にもなりません。
そんなダーク大和のドジョウ掬いを見てみたい方はNHKアーカイブスにあるようですが、ダーク大和の検索に4件のヒットがありました。すべて演芸番組でこのなかに有ると良いな、さらに若い頃の踊りならもっと良いなと思っています。
私が持っている動画は師匠のリサイタルでかなり後期。つまり、病気後の踊りの映像は保管してあります。病み上がりでも、獲物を狙う獣の片鱗がうかがえます。
弟子ダーク広和独自の分析でございました。